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記憶喪失者的家族

11 5月

どもども、文人です。

今月28日は私の記憶が消えた日で、ある意味誕生日でもあります。
そんなんだからかどうもぱーっとしないので、昔を振り返りながら記憶喪失後の今について書いていこうかなぁと

そんな本日は、私が考える家族像です

 

 

一応、親の名前、顔、生年月日等は思い出していますが
それをもっても尚、私の中につきまとう問題がありまして

それは

この人達は、本当に自分の親なのか?

という事だったりします。

 

よく、世界五分前仮説だったりが唱えられたりしますけども
私の記憶の残り方的にはこれを信じざるを得ないというか、ほんと必要最低限の知識を残されたまま生まれた状態でして
私のこの『この人たちが親』だという記憶は、与えられた知識であって私の本当の記憶じゃないじゃないか?と
そう考える事が多いのです。

私は全ての昔の自分がもっていた知識に対してあまり信用はしてませんし
他人から聞かされた事も、あんまり信用してません。自分のもっていた知識よりかは重要度上ですが。

つまり、私の記憶の上ではこの人達は親となっている……が
ほんとうに自分の親なのか?自分の記憶の齟齬じゃないのか?……
ほんとうの親は違う人たちじゃないんだろうか?
そしたら、私のほんとうの家族とはなんなんだ?
それよりも、家族とはなんなのだ?

そういう事を考えてどつぼにはまっていくんですよね。
そこら辺カウンセリングとかしていく中でやっかいだったなぁと思っていますワ

 

んじゃ、私が家族と思っている人間はいないのか?と言われますとNoでして
一応自分の中で『家族とはこういう物』という考えはあります。それは

『アガペー的な愛をもって私を助けてくれ、私が助けたいと思う人達』

というのを家族だと思っています。

うちの親父が言っていたのですが
「家族ってのは血のつながりとかは関係なく、何かあったら助け合える人はみんな家族なんだよ。
だから、我が家全員もだし、隣の○○さんや親戚の○○さんや○○さんだって家族なんだ」

これが大本となっていまして、助けが来たら「ホントしょうがないなぁ……よっこいせ」と
何も考えずに、『さぁ手伝ってやっか。』っと軽口を叩きながら助け合える人達を私は家族だと思っています

 

血のつながりはそこにあったり無かったりするかもしれません。
あってもとても遠くて今では無いに等しいかもしれません。

でも、そういう考えを私にもってくれて、私ももてる人が
私にとっての家族なんじゃないかなぁと思います。
逆に言えば、そういう考えがもてない人はたとえ血縁でも、家族と思いませんね。ええ。

 

 

 

 

そういう考えを元に、私は自分の中で『家族』というあり方を考えてます。
そうやって、やっと親を『あぁ、この人達は本当に私の親だ』と認識しています

ホント簡単な考えなんですけど、1度何も分からなくなったらこうやって自分の中で理論づけないと
自分自身を見失って、自分はなんぞや?という最悪の悪循環に浸ってしまうのです

こんな感じで、記憶がなくなった私の考えを今月は書いていこうかなと思います。
こういうことをどう感じているとかあって聞いてみたいとおもえば、メッセを下さいな

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投稿者: : 2013.5.11 投稿先 記憶喪失

 

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